●
[時空捜査局事件簿]
(Time-Space Investigation Office Case Files)
＜時空捜査局、キング・タット殺人事件４＞
戸浦百合もすこし休憩して茶を呑んでから
「最近、色々な事件が起きてみなさんご自分でお茶を
入れられるようになりましたので楽ですわ。エジプトの頃も
自分で食べ物を管理していればあんなに毒殺されずに済んだのに。」
と溜息をついてアンク・エスエンアメンを検索した。
「ありました。アメンでヒットしました。
『光の黙示録、詩編１７』にありました。
>>カミル・アー・エスエンアメン
>>交錯している
>>つづらをほどけ
>>バアの胃袋を空にするな
>>マニ マニ マニ △
>>ＨＡＲＩＨＡＴＴ・ＤＥＭ・ＺＥＩＭ（ハリハット・デム・ゼイム）
1986-2-23
（光の黙示録、詩編１７より）
「ありがとう。これだったね。
どうもわけのわからないことばの羅列にしか見えない詩編だね。
この『カミル・アー・エスエンアメン』ということばが
交錯しているというのだから、ほどいて並べ替えてみれば
なにかわかるかもしれないね。エジプトの王か王妃の名前とか。」
しばらく戸浦は資料を当たっていたがあきらめたように白鳥に言った。
「局長、残念ながらこのことばでできるアナグラムに該当する
人物はありませんでした。王や王妃の名前で
エスエンアメンという並べ方は
アンク・エスエンアメンの場合だけのようです」
「ごめんごめん。人物の名前ではなかったか。
わたしの勘は錆び付いているようだ。
それでは『カミル・アー・エスエンアメン』をエスエンアメンの部分で
特定できる、王妃、アンク・エスエンアメンについてのメッセージと
考えてみよう。そうなら『カミル・アー・エスエンアメン』は、
神ルアー、ＬＵＲＥのエスエンアメンということか。
ルアーは囮（おとり）で欺くことだね。
アンク・エスエンアメン王妃はなにかの陰謀の囮だった可能性がある」
「そ、そんな、王妃が陰謀に加担してタット王を騙していたというのですか。
信じられません。でも、『交錯している』は悪臣どもが
工作している、ということかも…。
つづら（葛篭）はタット王さんのマークの篭（ネブ）を示唆しているようだ
し。
なんだかほどけそうな気がしてきました。
タットも篭の中の鳥の一羽なのかもしれませんね」
「よし、面白くなってきた。王妃の線を
辿っていけばロマンチックの皮が剥がれるかも。
さあ、つぎに進もう。
『バア』（Ｂａ）はエジプトでは霊魂のことだね。
カア（Ｋａ）は幽体で、バアは霊魂なんだが
それだけでは単純だから、『婆』としてみようか、戸浦君」
「それはジョークなんですか。」
白鳥はまじめな顔に戻って続ける。
「いやいや、ジョークとかじゃなくて、
婆とみればナミ女となってヒエログリフのナミ形
〜〜〜〜は
エンと読んでアンクはヒエログリフで『♀』の形で永遠の命のことだし
『〜〜♀』（波女）ということだね。
どうもバアもアンク・エスエンアメン王妃を指しているらしい。
Ａｎｋｈｅｓｅｎｐａａｍｕｎ（アンケセナーメン）という長い名前の
アンクは称えることばで、アメンも神名を付け足してあるだけだから
この王妃の正味の名前は真ん中のエスエンだけなんだろうね。
一言で詰めて呼べばエセンかセンぐらいになって、この夫婦は
タットアンドエセンだったようだね。」
「そんな呼び方では夢がしぼんでしまいます。
それではそのエセンさんの胃袋ってなんのことでしょう。
空にしてはいけないというのだからちゃんと食べさせなければ
いけないということでしょうか。
タット王が死んで王室が貧乏になって困ったとか」
「婆の胃袋 ナミ女エセン王妃の胃袋か。
いつものように解字してみよう。『胃』はさっき、きみが
見せてくれたピラミッドを上から見た図のようだね。
ヒエラルキーを月（肉体）が田の回転して王位まで登ることのようだ。
『袋』は代わりの衣だね。
だれがタットの代わりに衣を着たのか、わかるかね。
もちろん、あの四人の重臣たちが、井桁形に組んで王が生きている間も
代わりにそれぞれの職掌の衣を着て傀儡支配していたのだろうが、
かれが死んでからだよ」
「タット王の不慮の死によって文官アイがエセン王妃の夫になって
四年間玉座に就いています。そのあと、軍司令官ホレムヘブが受け継いでいま
す」
「そうか、そういうことか。『空』は『食う』であり祖等（そら）でもあっ
て、
エジプト王室をかれらが食い物にしたことや
本物の祖ではないのに祖等にしてはいけないということなんだろうか。」
>>その者と共に 冥府の従僕の頭(ｺｳﾍﾞ)を洗え
この詩編１６の冥府の従僕の意味は
王のあの四人の従僕らしいね。
頭(ｺｳﾍﾞ)とわざわざフリガナをふってあるのは、なにかあるに違いない。
ｺｳﾍﾞは『乞う部』でかれらの欲しがった職責なんだろうが
もうすでにかれらは井桁をほとんど登り切って
あとは三角の頂点しか残っていなかった。
アンケセンアメンの頭を洗ってアンケをとってしまうとセンアメンだから
その頭（かしら）はやはり、洗（セン）王妃だったらしい。
冥府の従僕の頭(ｺｳﾍﾞ)を洗うと王妃ということだ。
王妃が四重臣の頭として図ってタットを殺めたということか。
四人の内のだれかと通じていたのだろうか。
タットの前の王はだれだったんだろう」
戸浦はコンピュータ画面上の資料をクリックして読む。
「タット王の父、アメンホテプ四世は、アテン信仰に改宗後、
アメンホテプ三世と妻ティイの子といわれる
スメンクカラー（Ｓｍｅｎｋｈｋａｒｅ）を見込んで
長女メリトアテンの婿に迎えてを共同統治者に据えました。
アメンホテプの妻ネフェルティティは古代エジプト語で
『美女は来れり』という意味なのですがかれには
ネフェルネフェルウアテンという名前もあるので
ネフェルティティのことではないかという説もあります。
スメンクカラーは治世二年目にアテン神の首都アケトアテンから
アメン神の都テーベに帰り、アメン神信仰との 和解をはかったのですが
そこで殺害されたらしいのです。
ここにもアテン派とアメン派の闘争があったようです。」
「ふむふむ。どうやら、つづらの中身が透けて見えてきた。
成仏できないお化けたちが詰まっているようだ。
アケナテン王とスメンクカラーというアテン派が斃れて
その継承者、タット王がたった九才でアテンの名前を継いで
王位に就いたのか。
王が十三才のときにタットアンドエセン夫婦二人とも
アテンからアメンに改名したんだね。
タット王はアテン神が邪神であることに気づいて
元のアメン信仰に戻したのか。
最愛の王が殺されたときなぜかアンクエスエンアメン王妃は
すぐに宰相アイと結婚した。
それほど夫を愛していなかったようだね。
ふむふむアイについて教えてくれるかい、戸浦君」
「はい、かれはアンクエンアテン王、スメンクカラー王、
タット王（トゥトアンクアメン）の三代のアテン派の王に仕えました。
エル・アマルナの墓に「アテン賛歌」
の長い方が記されているところをみると
かれは最後のアテン派の生き残りだったようです。
王たちの宰相兼大蔵大臣でした。
タット王墓の玄室壁画には王のミイラに最後の儀式を行う
忠実な後継者として描かれています。
豹の毛皮を着てツタンカーメンに
手斧で口開けの儀式を
執り行うアイ
奥さんは ティイ二世（Ｔｉｙ II）でしたが
タット王の死後アンクエスエンアメンと結婚して
紀元前１３２５年から１３２１年までの四年間、在位しました。.
かれはアイ、神の父（ｉｔ-ｎｅｔｊｅｒ）という称号と
即位名、ケペルケペルウラー Ｋｈｅｐｅｒ-ｋｈｅｐｅｒｕ-ｒｅ
（ 太陽神ラーの顕現は永遠）をもっていました。」
「なるほど、なるほど、自分の墓の玄室壁画に最後の儀式を行う
忠実な後継者として描かれているほどの男に
妻と王位を奪われて、タットはどんなに無念だっただろう。
王妃は王の生前からアイと通じていたのだろう。
どうだい、戸浦君、事件の真相が見えてくるに連れて
ロマンチックなんてどこにもないことがわかるだろう。」
「そうでしょうか。いよいよ、最後のベールを取りましょう。
アイの後に井桁を登り切った男がこのベールの下に隠れています。
さっきから名前は出ていましたが肝心のところになると顔を隠して
しっぽをつかませんでした。
冥府の従僕の頭はアンク・エスエン・アメン王妃
などではありませんでした。
かれこそが四人の重臣の
頭そのものだったのです。
その男とは、古代エジプト第十八王朝最後の王となった、
王家の谷５７号墓に眠るホレムヘブです。
王位についたアイが在位わずか四年で退位した後、
アメン神官団の支持を得て即位して紀元前１３２１年から
１２９３年までの二十八年在位しました。当時としては長い方でしょうね。
かれは 中エジプトの軍人出身でアクエナテン以後の
太陽神アテン信仰に関係のある四人の王に将軍として仕えました。
将軍時代のホレムヘブ
しかし、かれはなぜか自分が即位するとアクエナテンによる
アテン宗教改革の痕跡を完全に払拭するために
アテン派の四王に関係ある建造物から王たちの名前を削り取り、
その上、タット王（トゥトアンクアメン）の業績を自分のものにしています。
どうしてそこまでやらなければいけなかったのでしょう。
かれこそがあのホホロギでした。ヤグルマ（アテン）を
散（ほほろ）いでしまうためにやってきた闇を走る者でした。
かれがアテン派の王たち王妃たちをつぎつぎに手にかけたのでしょう。
その霊統、血統を絶やし歴史から葬り去ることが目的だったようです。
かれはＨｏｒｅｍｈｅｂホレムヘブ（ホルスは歓喜の中にある）、
Ｄｊｅｓｅｒｋｈｅｐｅｒｕｒｅジェセルケペルウラー
（太陽神ラーの顕現は聖い）
ｓｅｔｅｐｅｎｒｅセテプ・エン・ラー（太陽神ラーに選ばれしもの）
という名前をもっていました。
ネフェルティティの妹かといわれるムトネジェメトが妃といわれています。
ホレムヘブはアメン派の急先鋒でした。
他の王の在位中にもアメン神官と通じ
て
アメンの復活を図り、つぎつぎに王を亡き者にしました。
そしてついに王座につくとアテンの名の付くものをすべて消し去りました。
Ｈｏｒｅｍｈｅｂホレムヘブ（ホルスは歓喜の中にある）という
ホルスを称える名前に騙されて気づきませんが
かれの称号ｓｅｔｅｐｅｎｒｅにはセトが含まれていました。
ｓｅｔとは肉体のことです。それはオシリスを殺して
ホルスに追われたセトの復活でした。
アメン信仰はセトの隠れ蓑でした。
つぎの第十九王朝はセティ（ｓｅｔｉ）王でやはりセトが含まれます。
ラムセスも称号がホレムヘブと同じ ｓｅｔｅｐｅｎｒｅです。
一見違うように見えてもどこかに ｓｅｔの名前をもっています。
昔、オシリスを殺害したセトはホルスに追われてもアメンの名の隠れ蓑で
復活して王位をつづけました。時は過ぎゆき、
アメンホテプ四世（アケナテン）によって
ヘリオポリスから導入されてアテンの名で甦ったオシリスはまたしても
ホレムヘブにとり憑いたアメン（セト）に王位を奪われたのです。」
「うーん、オシリス神話まで出てくるのか。
しかし、わたしのいうタット王をエセン王妃が裏切っていたということは
否定されていない。アイだけではなくホレムヘブともできていたのかも」
戸浦の眼がきっと険しくなった。
「アンケセナーメン王妃はなぜ自分の祖父ともいわれる
老臣アイと結婚せねばならなかったのでしょうか。
かの女はタット王との思い出のアテン神を護ろうとしたのです。
タット王が王座についたとき、テーベで雌伏していた
アメン神官たちは権力奪取に狂奔しました。
まだ子供だから篭絡はたやすいはずだと後見人に圧力をかけました。
もちろんホレムヘブはアメン神官団と通じて暗躍しました。
若き王の治世四年目にはついにアンクエスエンアテン王妃と
ツタンカーテン王の二人ともアメンと改名させて
アケタテンからメンフィスに行政府を戻しテーベを
エジプトの宗教センターとしてアモンの寺院を再開させました。
それでも二人はあのレリーフに見られるようにアテンのマークである
矢車草に愛を誓い合っていたのです。
そして王の治世九年目についに殺害したのです。
おそらく手を下したのはホレムヘブの手の者でしょう。
かの女はタットの棺に矢車菊を手向けてアテン信仰を護ることを誓いました。
ホレムヘブはアメン神官たちの力をバックに全面改宗を迫りました。
空位になった王位は捨てておけばホレムヘブに奪われます。
王位継承権は王妃自身にあります。
他人がなんと見ようとも最後のアテン派の
祖父と結婚するよりアテンを護る方法はありませんでした。
その祖父も在位四年で退位しました。
老齢のためといわれていますがおそらく
なんらかの方法がとられたのでしょう。
その後、ホレムヘブの嵐のようなアテン派徹底壊滅作戦が始まりました。
そして、エジプトの正史においては、オシリス復活に力を尽くした、
アケナテンは異端の王と蔑まれ、貶められ共同統治者スメンクカラーは
ネフェルティティのことだったのではないかなどといわれるほど影が薄く、
ツタンカーメンにいたっては完全に削除されてしまいました。」
戸浦の眼はすこし潤んでいるように見えた。
「どうしてもきみはあの二人を愛の悲劇の主人公にしようとして
そんな風に感情移入しているんだろう」
「>>ＨＡＲＩＨＡＴＴ・ＤＥＭ・ＺＥＩＭ（ハリハット・デム・ゼイム）
これは『見えず、めでたいラー』と読みます。
わたくしの名前は百合（ゆり）ですが、戸の裏では龍（りゆ）です。
父が男の子なら龍と名づけようとしていたのですが女だったから
百合と名づけたのです。
だから、わたくしには天使の裏読みことばが読めるのです。
『見えず、めでたいラー』の物語はこれでおしまいです。
おつかれさまでした。それではお先に失礼します」
「戸浦君、まだ、捜査は終ってないよ。
だれもきみの説が正しいと認めていないぞ。
ロマンチックなんて幻だ、幻のはずだ…。」
戸浦百合の振り向かぬ後ろ姿を見送る
白鳥武局長の声が都会の喧噪にかき消されていった。
（了）
